80日後、城を覆っていた木々を切り倒させ、一夜にして城が出現したように見せかけた
その後、敵はすぐに降伏した
石垣山一夜城
— たったかたーち (@smileago_) December 5, 2021
関白は天狗か神か…
どんな絶望感だったなかな…
小田原城は18日以降! pic.twitter.com/Qz8ksCYgYD
数週間で木造の城を作り上げた
おはようございます。今日はウィリアム征服王がイングランドに乗り込み、ノルマン・コンクエストが始まった日です。その様子を描いた「バイユーのタペストリー」に見られる装飾された楯は継承の実績がないため紋章とはみなされませんが、イングランドにおける紋章の胎動のひとつとされています。 pic.twitter.com/nsPZ17aOmw
— 柚月紗綾🔱 (@yuduki_saya) September 27, 2021
陣地で土塁を築き、その後、牛と人力で一晩かけてドーチェスター高地に運んだ
敵:ああ知っている、作るのを見ていた、私たちはただ、その粘り強さに感心した
80日で城を建てたいか部下に聞いたら、みんな代わりに降伏したほうがいいと言っていたよ
敵は物資が不足していたのだろう
26年間続いたのもあったし……
彼は川を迂回させて谷を水浸しにし、その谷の丘にある城を包囲したことがある
従来のやり方では人手が足りなかったから
一カ所に建てて、それを解体して好きなところに建て直す
ただの材木でできてるし
一夜城が2つもあったとはね!?
社会は秀吉の農民の悪知恵に対応できていなかったんだな
一読の価値あり
令和版風雲たけし城の
— 🍑モモくん。 (@peachman_9120) June 23, 2022
アトラクションイメージ図が出てた。
現代感がエグすぎる。 pic.twitter.com/Y04Ksrl9Ur
歴史の勉強になったよ
この投稿へのコメント
検地と刀狩り すばらしい。
北条攻めの話のはずなのに、墨俣と勘違いされている
まあしゃあない
西遊記が好きだった外人にはおんな太閤記を見て欲しいね
西田敏行の八戒はめちゃ人気だったみたいだから
北条時代の小田原城は今より西に在った
そこからは石垣山が目の前に見える
墨俣一夜城は実際は馬防柵と火の見櫓レベルの組合せ程度だったらしい。大量の木材を筏を組んで川を下って運んだ。何の防壁もない中洲状態の墨俣に騎馬隊の直撃を防ぐ防壁代わりの馬防柵が在れば戦局はガラッと変わる。
難攻不落と思われた稲葉山城が陥落したのはこの単純な馬防柵と木を組んだだけの櫓のプレハブセットのお陰。
そもそも城って今は石垣と土壁があるってイメージが強いが
戦国時代までは山城が一般的だし、それ以外は簡易な土塁に木の柵、物見の櫓がある、今で言う砦みたいなのが普通。
当時の「城」って言葉が独り歩きしている
百姓生まれって初めて聞いたわ
ずっと足軽出身で、だから懐で草履を温めた、というエピソードがあったのだとばかり。
なにか新しい発見でもあったんだろうか
出自は諸説あり、百姓出身で確定していないよ
おいおい、江戸時代以前は「農民=武士」やんけ。
農民の敵は隣村の農民だというくらい、農民同士でも戦ってたぞ。
学研まんが人物日本史の豊臣秀吉の巻は「ズッコケ三人組」の挿し絵画家の筆で描かれていたから何度も読んだな、墨俣城のエピソードで『今で言うプレハブ建築方式よ!』ってセリフがあって小学生の自分はこれでプレハブを理解したわ
桜田不破美理亜城はまだ建造中だぞ!
2026には完成するで