1885年に撮られたその写真には、ペンシルベニア女子医大で学んだ3人の女性が写っており、彼女たちはそれぞれの出身国(インド、日本、シリア)で初の女性医師になりました。
偉大な彼女達の姿にコメントが続々と集まっています。
岡見京子
1859-1941 明治時代の医師。
安政6年8月15日生まれ。横浜共立女学校を卒業し,桜井女学校の教師となる。
明治17年岡見千吉郎と結婚,渡米しペンシルベニア女子医大でまなび,海外で医学教育をうけた日本初の女医となる。
帰国後,慈恵病院につとめ,30年津田梅子らと保養所衛生園をひらき,園主。
のち同園内に看護学校をもうけ派遣看護婦制度をはじめた。
昭和16年9月2日死去。83歳。青森県出身。
旧姓は西田。名は京(けい)とも。
岡見京子 おかみきょうこ
引用元:Women from India, Japan, and Syria who completed their education as physicians in Philadelphia, 1885.
1:海外の反応
1885年に撮影されたんだ。
2:海外の反応
考えるとワクワクしてくるな。
病院がどんな感じだったのかも気になるな。
3:海外の反応
言葉の壁とかもあったんじゃないかなと思うよ。
TOEFLなんてものは存在してなかったしね。
インド人の女性は恐らく英語が話せたと思うけど、日本人の女性は苦労したんじゃないかな?
シリア人の女性は恐らくフランス語は話せただろうね。
そして、学費の心配は要らなかったんだろう。
4:海外の反応
この日本人女性は、フィラデルフィアに来る前は英語の先生だったんだよ。
5:海外の反応
何か知ってる人いる?
6:海外の反応
日本人の女性は、岡見 京という人で、Wikiにその後が載ってるよ!
南部藩の商人の父、西田耕平の娘として生まれる。母みよは武家の出で、京は幼少時、しばしばその江戸藩邸で過ごした。
横浜共立女学校を卒業。
竹橋女学校に入学、英語教師として桜井女学校に就職。
1884年に岡見千吉郎と結婚。
1884年ミシガン農科大学で学ぶためにアメリカ合衆国に渡航した夫・千吉郎に続いて渡航し、ペンシルベニア女子医科大学で学び、四年後にM.D.の学位を得る。
同年から東京慈恵医院で産婦人科あるいは婦人小児科の主任を務め、1892年に結核療養施設「衛生園」を開業、1914年までに廃業。
以後家庭に入り、乳癌で死去。
https://ja.wikipedia.org/wiki/岡見 京
7:海外の反応
8:海外の反応
俺も友達を結核で亡くしたよ。
9:海外の反応
昔は結核で多くの人々が亡くなっていたんだよね。
効果的な薬が開発されて良かった!
この100年間の中で医学はすごい勢いで進歩したと思うよ。
10:海外の反応
インド ー シンプルだけどエレガント
日本 ー シンプルだけど手が込んでいる
シリア ー 豪華すぎるだろ!
11:海外の反応
タイプライターで打たれた写真の下のキャプションを見て、鳥肌が立ったよ!
彼女達自ら進んでそれぞれの国の衣装を着たのかな?
それとも撮影者に頼まれたのかな?
12:海外の反応
彼女達が来てる衣装それぞれに、スーツケースが必要だと思うんだけど。
13:海外の反応
インド人女性はサリーを来てるね。
サリーは畳めるから場所取らないよ。
14:海外の反応
なんだか時代を逆行してるな。
15:海外の反応
16:海外の反応
シリア人の女性は、カーヌーンという中東の伝統的な楽器を持ってるんだよ。
17:海外の反応
そうなんだ!すごい!
楽器なのか機織り機なのかさえ分からなかったよ。
18:海外の反応
19:海外の反応
20:海外の反応
素晴らしい功績だ!
この投稿へのコメント
>チャングム医師は1500年代です
草
>3:海外の反応
>>2
言葉の壁とかもあったんじゃないかなと思うよ。
TOEFLなんてものは存在してなかったしね。
インド人の女性は恐らく英語が話せたと思うけど、日本人の女性は苦労したんじゃないかな?
なんなん?この偏見に満ちたコメント
英語力がなければ医大に留学なんて出来るわけ無いだろ
ただでさえ専門用語だらけなのに
シリアはどうにかならんのかな
プーチンのせいで、あんなになって
※14
オールドメディアの偏向報道は未だに効果があるらしい
こんな奴に限って自分はメディアリテラシーがあると思い込むから面倒臭い
日本初の女医は荻野吟子じゃない?
ケイコなんだ
あくまで専門的に習った最初の女医だろ
医者の家に生まれた娘とかは普通に手伝ってたろうしな
楠本イネは?
(オランダおいね)
シーボルトの娘で医者だったはず
楠本イネは?
(オランダおいね)
シーボルトの娘で日本初の女医じゃなかったっけ?
>>10
国資持ちは埼玉の荻野吟子先生だね
日本初の女医は楠本イネ(失本イネ・楠本伊篤・シーボルトの娘)じゃない?
最初の師匠、産科の石井宗謙(シーボルトの弟子)に手籠めにされ出産。
石井に激怒したシーボルト門下生達がイネを救い出し、シーボルトの弟子の一人である二宮敬作に引き取られ、医学の基礎を学ぶ。(元々シーボルトから後事を託されていたのは二宮であったが、シーボルト事件に連座し、半年入獄・江戸所払い・長崎追放の処分を受けたため、石井がイネを引き取っていた)
二宮敬作を訪ねてきた村田蔵六(大村益次郎)の知己を得てオランダ語を学ぶ。(後に大村が襲撃された際は、ボードウィンの治療のもと看護し最期を看取った)
オランダ軍医のポンペとボードウィンからも西洋医学を学ぶ。
安政5年(1858年)、故郷長崎で産科医を開業。
明治4年(1871年)、異母弟シーボルト兄弟の支援で東京築地に開業。
福澤諭吉の口添えで宮内省御用掛を務める。
明治8年(1875年)、医術開業試験制度が始まるが、女性に参加資格がない為に閉院して長崎に帰郷。
明治17年(1884年)、医術開業試験の門戸が女性にも開かれるが、高齢のために断念して産婆として開業。
明治22年(1889年)、廃業して上京。異母弟ハインリヒのもとで余生を過ごす。
楠本イネは当時の法律上女性に医師免許が下りなかったので、医師の道はあきらめた。とNHKで見た気がする。
>>5
偏向報道も何も
医学部の受験で女の受験生が不利益を被ってたのは事実なんだが?
だからイネさんは大河ドラマ『花神』の主要人物として描かれたんでしょう。
第一号なら朝ドラの格好の題材だけど、荻野吟子がドラマになってないのは、
事実上「稲本イネのが先」というのがあるんじゃないの。
岡見京子さんは南部藩と言っても岩手盛岡の南部藩じゃなくて
青森県の方の南部藩出身
昔は「自称」で医師になれたんだよ。楠本イネはその時代。
医師免許制度になったときに楠本イネは50代だったので取得を諦めた。
日本の医大を出て医師免許取得した初の女性は荻野吟子。
社会はまだ封建制の名残があったけど大学を創設した女性も作家の女性も会社を作った女性もいたし、こういう有能な女性が続々と出てくるところが日本の面白さだ
建てて二十余年で結構すぐに廃業しててワロタw
医院なんて建てるのに莫大な金額が入りそうなのに、誰かに渡さず畳んだなら赤字で火の車だったんだろう
チャングム医師は1500年代です