記録として、日本に初めてウイスキーがもたらされたのは1853(嘉永6)年6月23日のこと。
ペリー提督が率いるアメリカ合衆国東インド艦隊によって沖縄に伝えられた。
艦隊が那覇に寄港したとき、琉球王国では新しい三司官(宰相)が就任したところであった。
そのため、艦隊司令長官のペリーは、新任の三司官である尚宏勲(シャン・ハン・ヒュン)を旗艦サスケハナ号の晩餐会に招待。
その席で、スコットランド産とアメリカ産のウイスキーを饗したと『ペルリ提督日本遠征記』に記されている。
そして、その約2週間後、艦隊は日本本土へ向けて移動。
浦賀沖に停泊していた7月12日に、浦賀奉行と称した同奉行所の与力・香山栄左衛門が乗船し、その歓待の中でウイスキーが出されたと同書にある。
この香山が記録に残る、初めてウイスキーを飲んだ日本の武士といえるのかもしれない。
その後、ウイスキーは徳川将軍への贈り物として樽単位で献上されている。
日本の文化に溶け込んだウイスキー
引用元:TIL in 1854 Commodore Perry gifted 110 gallons of American Whiskey to the Japanese emperor. That gift has since evolved into a $6 billion industry, with Japan's Suntory distillery winning 2015's World Whisky of the Year. Today, Suntory owns Jim Beam.
1:海外の反応
1854年にペリー提督が日本の将軍に贈り物としてウィスキーを贈ったのが原点らしいよ。
現在、サントリーは2015年に世界一のウィスキーに選ばれてるし、ジム・ビームはサントリーに買収されちゃった。
2:海外の反応
4:海外の反応
そうそう!
日本のウィスキーのルーツは、アメリカではなくスコットランド。
「頭の良い日本の青年が、1本の万年筆とノートでウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」。
かつての英国首相は、ユーモアと親愛の情を込めてスピーチしたという逸話があります。
竹鶴政孝は、1918年12月にスコットランドへ到着。
翌1919年にスペイサイドのロングモーン蒸溜所にてモルトウイスキーの製造実習、ボーネスのジェームス・カルダー社工場にてグレーンウイスキーの製造実習を積み重ねます。
そして、1920年の中頃、キャンベルタウンにあるヘーゼルバーン蒸溜所にて再度、モルトウイスキーの製造実習とブレンド技術の習得に臨みました。
その際、学んだウイスキー製造工程のすべてをメモに残し、宿に戻った後、自らの意見を添えて書き記したのが『実習報告』と題された「竹鶴ノート」です。
内容は驚くほど詳細で、設備のイラストも交え、綿密に書きこまれています。
竹鶴の帰国後、日本の本格ウイスキーづくりは、この二冊のノートを元に発展していきました。
日本の本格ウイスキーづくりは二冊のノートから始まった。青年、竹鶴政孝の情熱の結晶。
5:海外の反応
そうそう!
俺も言おうと思ってたんだよ!
6:海外の反応
映画に出来そうなストーリーだなぁ。
8:海外の反応
9:海外の反応
俺も山崎ボトルで持ってるよ。
最高だよね。
10:海外の反応
日本へ無理やり開国をさせようとしていたから、日本からは全く歓迎されていなかった。
条約を結んで、大砲の標的を日本から外した後、トレードしたもののひとつがウィスキーだっただけだよ。
11:海外の反応
12:海外の反応
飲んでみたいんだけど、高いんだよなぁ。
13:海外の反応
ウィスキーと唐揚げは人類史上最高の組み合わせだよ。
14:海外の反応
15:海外の反応
技術を採用し、改作し、極めたんだね。
16:海外の反応
17:海外の反応
根本原因解析(英:Root cause analysis (略:RCA))は、問題解決の中の一つの部類に属し、問題や事象の根本的な原因を明らかとすることをねらいとする。
単にあきらかな兆候に即座に対処するのに対して、根本原因自身を修正、及び除外する試みによって、最高の問題解決を図る考えの実践を基調としている。
根本原因の度合いを直接修正することによって、問題の再発の見込みが最小限になることが期待される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/根本原因解析
18:海外の反応
19:海外の反応
20:海外の反応
この投稿へのコメント
いつの間にか海外で人気になってしまい、すごい入手しづらくなった
いつも行ってた近所のラーメン屋が、テレビでたとたん行列できるようになってなかなか食いに行けなくなるような、そんな感覚
良い物前提だろ。
識別間を持ってるからな。
サントリーが受賞したのは出来レースだからだよ。
イギリス人がサントリーは「マズイ」と評価してる。
竹鶴は日本人だが、ドラマで竹鶴役をしたのは在日にだ。彫る彫る
アルコールをカラメルで着色し香料を加えて贋造ウイスキーを造ってきた歴史がなかったことにされてる。
※4
根拠あるいは証拠をください
日本のウイスキーは間違いなくスコットランドが由来であって、アメリカではないよ。
だからこそ日本のウイスキーが一時であろうと、本場を超えた事が世界中に驚かれ、注目されたんだよ。
時として"本場のものと同等のものを異国の地"で作ることは、"本場のものより良いものを異国の地"で作る事より、難しい事だからね。
※4
大体の分野で最初は粗悪な模造品が出回っているからしょうがない。
いきなり本物が出回ることはまずない。
当時の日本人、列強からの知識吸収に対してホント貪欲だったし
成功者は、お国のため的な、ある種の使命感すらあった感じだな。
ペルリさん、ウヰスキーをありがとう
ウィスキーと唐揚げか。
最近、オーク樽仕込みの安い麦焼酎呑んだけど、かなりウイスキーに近かった。
麹を使ってるからか、ちょっと風味や甘み違うかなと思うけど、安物の海外産のウイスキーより上品で美味かったよ
ペリーの持ち込んだウイスキーが原点てなら、竹鶴さんや鳥居さんの苦労は何だったんだ。
そのころまでは日本人には馴染みがなかったから、なかなか売れなかったはずなんだが。
カステラやガラス細工のように人気が出なかっただけで貿易品目に普通に入ってる。日本が鎖国してたって言うのはまあ嘘じゃ無いんだけど偶に日本の鎖国といたぞーとか日本人にオレラが初めてこれ渡したぞ、それに纏わるドラマがこれだとか出てくるとなんか違うと言いたくなるな
ペリーと国内ウイスキーは関係ないと思うなあ。初めて持ち込まれたってだけで
>今日知ったんだけどさ、今や60億ドル規模のウイスキー産業が日本で広まったきっかけって、ペリーなんだって!
これが間違いだな。持ち込まれたのはペリーのとき、広まったのは竹鶴氏等のおかげ。
当時はまだ幕府の力があったしウイスキーの製造法を知って広く流通可能な土壌があったとしても、異国のものとして幕府が止めてた可能性もある。
日本がウイスキーを、基本をもとにして忠実に作っているけど
外国では、味噌・豆腐を、基本をもとに忠実に作っている。
日本のウィスキーの源流はスコットランドから間違いない。
そして値段の割にクオリティが高かった。
今やその値段がプレミアムで跳ね上がり、原酒不足から終売と変なものを売るようになってしまって価値が無くなった。
余市10年が3980円で買えたことに意味があったので今みたいな値段で飲む意味は無い。
そして世界中の有名ウィスキー蒸留所のほとんどが今やサントリーの傘下という現実を受け入れるしかない。
尚宏勲(シャン・ハン・ヒュン)←こういうところ気をつけろ。
尚氏だから「しょう」だからな
勲←フン・ヒュンは当時の読みでもなく中国読みでもなく韓国読み
最初マネでも日本のように品質を高めなければ意味がない
どっかの悪質パクリ盗み詐欺居直り国みたいになっちゃダメだ
アメリカ人から散々RCAせよと叩き込まれたワイ
スコットランドに感謝、ペリーに感謝、日本の先人に感謝
海外へ輸出しまくった結果、大手酒造メーカーは原酒が枯渇し有名銘柄の製造を休止せざるを得なくなった。
それを好機と捉えた全国の小規模な蒸留所が今売り込んでるそうな。
ウイスキーとから揚げって合うか?
1970年代くらいまでだと、当時のトリスとか安ウィスキーは「カラメルで色を付けた焼酎」みたいなもんで、国際的に日本のウィスキーが評価されるようになったのは近年のこと
※26
近年がいつを指すのか知らんが
20年前には高い評価がつきつつあったで。
酒税法の改正でスコッチが安く国内に入ってきだしてから
日本のウイスキーは劇的にうまくなった。
俺はその頃から酒量が減ってきてなんか悔しかった。w
竹鶴さん(ニッカ)から発展できたのも、日本の木工(樽つくり)や板金(蒸留機器)など、引き継がれてきた職人技がベースにあったからだね。
木を曲げたり組木などする水車も作れない国だったら、持ち帰ってもこれほど発展はしなかっただろう。
ウィスキー醸造技術は贈り物じゃなくて、日本人が自ら学びに行って掴み取ったものじゃん?
贈ってやったって上から目線はなんなの
>>日本人に何かやらせたら、それをとことん極めちゃうんだよ!
しゃーない 縄文土器時代からのオタク気質だからねー