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引用元:Dangerous Minds
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シェアしてくれてありがとう!
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こういう服やアクセサリーをコレクションしたいな!
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どの時代にもね
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男のサムライよりも「怒り」や「憎悪」を感じる
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めちゃめちゃクールだし刀と鎧が似合う!
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「サムライ」という名前じゃなくて「女武芸者」と言うんだよ
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そうやってなめてたら確実にすぐ斬られてやられるだろうな
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こういうコスチュームをいつか作ってみたいわ!
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この写真を見たことによってかなり影響を受けそうだ…
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これがまさに俺の理想の女性像だ!
この投稿へのコメント
女サムライ「くっ!・・・殺せっ!」
まあこれはただの撮影だろうけど、西洋よりは戦う女もいたかもね
芸者のブロマイド写真じゃないですか―!って思ったけど地味に八重さん混じってた?
この写真は観光写真の物だけど巴御前や北条政子の話を知ったら喜びそうだな
下から4番目の画像のガチ感(この人だけ前半挿し(1番早く抜ける刀の挿し方)
他の人は役者とかと思う
美人しかいないと思ったら芸者さんか
でも、巴御前とかいたし他にも戦う女性がいてもおかしくないよな
巴御前とか昔から有名だろう。
元祖コスプレやん。本気にせんといて!
私は生粋の日本人だけど
サムライの起源は朴ライと言って我が韓国なんだよなぁ
元年はいつなんだろうね
おばちゃんがちょっと恐い
お土産用のコスプレカードやんけ
モデルは当時人気の芸者さん
コスプレやで
土産が混ざってるな。八重さんもいるね
わろた
※5
多分、この人八重さんだよ
大河でやってたやつ
芸妓さんのコスプレに
しれっと会津戦争で薩摩兵スナイプしまくった本物(新島八重さん)混ぜるのやめーや
下から4番目の画像の女性は、新島八重(にいじま やえ)だね。
同志社大学の創立者である新島襄の妻として知られる。
江戸時代末期(幕末)から昭和初期まで生きた女性だ。
(弘化2年11月3日(1845年12月1日)から昭和7年(1932年)6月14日))
西洋は女性を拳銃の盾に使うほどえげつないけど
日本はずっと男女の権力バランス良かったのよね
戦国時代だと結構有名な人もいたよね、侍っつーより侍の妻や娘だけど
江戸時代になって平和になって出る必要もなくなったし儒教が学問とされて武家社会で定着したからな
家康んとこが嫁姑関係が家庭内桶狭間で、嫁も母ちゃんも頼むから口出すな状態だったのも大きいんじゃね
下から4番目の女性は、新島八重(にいじま やえ)さんだね。
弘化2年11月3日(1845年12月1日)から昭和7年(1932年6月14日)まで生きた女性。
同志社大学の創立者である新島襄の妻として知られる。
※8
自分でネタバレすんなよw
笑っちまったじゃねえかww
小さいおばあちゃんが本物だな
鉄砲の先生で「八重の桜」のモデルですよね
米8
おいおい、韓国が侍の起源つってホラ吹いてんのは”サワラビ”じゃなかったっけか?
しっかり勉強しとけよw
甲斐姫がいるじゃないか。
戦国時代は女が戦うのも珍しくなく
戦力として数えられることもあったようです
負け戦では、男より女のほうが勇ましく戦い、男は役立たずになることも多かったそうです
女侍「私の負けだ、煮るなり焼くなり好きにしろ」
英米あたりだと昔は娘しかいなかったら財産は男の親戚のところに行くか没収されるかだしな
その点では昔の日本の方がましだったんじゃね
写真映りがいいのはみんなモデルだろうな
オッサンみたいのは本物臭いが
コスプレの中に一人だけ混ざるリアルガチ
写真の写ってる中では山本八重だけは会津藩士の娘として実際に戊辰戦争で戦ったホンモノ(写真は晩年昔の姿を模して撮ったと言われてるもの)
ベッキー混じってない?
生粋の日本人キターーーー
で、あんた何人?
>10
おい鳥頭の白丁
侍の語源は「サウラビ」じゃなかったんかいw
巴御前くらいしか知らない
不覚にも朴ライに笑っちまったわ
写真が残ってる侍なんて男も女もほとんどただの芸者なんだよなー
これ当時海外向けに作った土産コスプレカードじゃん
※2
「ふっただ殺すには惜しいのう」
女武者がいたという事実でフェミとか言ってるなら、
戦前の日本では男色が珍しくなかったこととかにも驚きそうだな。
巴御前と甲斐姫は有名だと思う。
上戸彩がいるな
八重さん混じってるぞ
上から3枚目は神刀流剣武術xx館長 伊藤正為(まさえ?)前本能寺にて備えとあるブロマイド。
下から4枚目は前コメで言われてるスナイパー八重さんとな。
残りはコスプレやね、昔も今も日本の女性はコスプレーやー、変わらんね。
巴御前とか、1000年前から実在し記録にも残ってるしな。神話の時代にもヤマトタケルの妻の弟橘媛が東征に同行して戦火の中での歌が詠まれている。日本の女性は惚れた男のためにたとえ命を投げ出しても、一緒に同行したり闘ったりするよ。スサノオの娘のスセリビメは跡取り娘だったけど、血の繋がった親父より何処の馬の骨ともわからない惚れた男を選んで、軍を差し向けたりアレコレやったともきく。
楕円の枠は貞子母を思い出して怖いw
写真自体は見せ物用ので偽物だけども有事の際は女といえども戦うケースもあるわけで
女侍がいないってわけではないわな
平時はいなかったが
武家の女性の写真と、女剣戟の役者の写真・・・かな。玉石混合状態だ。
どれも凛々しくていいね。
ああ、下から2枚目 まちがいない
ベッキーだ
大半が役者と写真家の要求でコスプレしただけの人だよ
※21
江戸時代には
別式女という本職があるよ
八重の桜とかいう会津民に間違った価値観を与えてしまうやつはNG
会津の民にとっては松平容保は憎い存在だぞ
侍ではないけど中沢琴ぐらいしか思い浮かばん
これはコスプレ写真が大半だけど、女武者や女武芸者というものは源平の昔から江戸時代まで途絶えることなく存在はし続けているからな。
おち*ぽ頂戴つかまつり早*
戦国時代に姫大名って何人かいただろ
立花誾千代とか
佐々木累とか中沢琴とか居たには居たんだぞ。
女武芸者。
中沢琴なんか「私より強い男となら結婚してやってもいい」の元祖みたいなもんだぞ。
申込みは多かったが、それで生涯独身だからな。どんだけ強いんだよ。
素手で鎧武者の首をへし折る巴ちゃん♪
高畑淳子もまじってるだろ
でも大抵の流派に女は居るけどまず皆伝とかの記録は無いんだよな
上の方は貰えなかったみたい
板額御膳ならまだしも存在があやしい巴はNG
まーたサムライの独り歩きかよ・・
殿サンが抱えた別式女が居るが、互いを戦わせるなど、余興の域を超えん。
ま、侍ってのは嫁も子供も一家そろって藩に仕えるのが本来だしの。
>10
生粋の日本人だけど~我が韓国
在日はよくこんな書き方するねw
なんでこんな土産物用のパチもんが信じられるのだろうか
女の武士はいないものの、時には武芸を身につけた武士の娘や妻はいた。
※10
「サムライ(侍)」の語源は「さぶらう(候う=仕える)」。
武士は人に仕えてその身を守るのが使命であるからして、まさに名で体を表していた人たちなんですねぇ。
で、サワラビとやらの語源は何よ?
「サムライ」以上にしっくりくる語源なら納得できるだろうけど、大統領を殺す国にそんな「道」があるとは思えないけどね。
っていうかサムライ女子が素敵。
是非ともウチの嫁に!!
スペンサー銃を携えた、八重さんだけが本物!
大奥でもなぎなたの訓練くらいはしてたと思うしね。
時代が下るにつれてお飾りにはなっていっただろうけども。
大河ドラマでもみとけ
やっぱ立花誾千代だろ
武家の女などに剣を教える2本差しの女は各藩に結構いたみたいですね。幕末には男装した女剣士もいたみたいだし。
戦国時代は男の留守中に家を守るのが女の役目だったんだから、
女武芸者が多いのは当たり前の話。
女と日本刀の組み合わせは東西問わずクールに見えるのかもね
キルビルとかウォーキングデッドの黒人ねーちゃんとか
直虎「呼んだ?」
お姫さまを命にかえても守らねばならなかったからな。
籠城戦では女性も武器を持って戦っていましたよ
幕末期の新撰組の永倉新八の覚書にも女性剣士の話は少しだけ載っています
どう説明したもんだかねえ。
面倒くさいから勝手に勘違いさせておくか。
※2
そうきたでおじゃるか
女武芸者は別式女といって武勇を誇る藩にならいたぞ
幕末動乱期の江戸を警護していた、新徴(しんちょう)組の「中沢 琴」の事を、東京の人はもっと認知すべき。
新撰組は京都を警護で、一方の新徴組は江戸を警護していた。
隊旗は横長で、ローマ字書き。
常に街を巡回していた新徴組は、江戸庶民と上手く付き合っていて、お巡りさんという言葉の発祥だそうだ。
その中にいたのが「中沢 琴」。
女性といえばなぎなたが武器のようになったのは、静御前がなぎなた使ってたかららしい
伝承を聞いた武家の娘が憧れて、武芸を習うときに皆なぎなたを選んだから
これら全部、観光客向けのブロマイド。本職ではない。
しかし戦前の日本は、今の剣道、柔道、合気道のような「道」ではなく
武術、武芸、つまり殺人技であり、庶民が嗜みとして愛好していた。
庶民がこのように訓練された軍人レベルだったので、
日本軍が強かったのは当たり前。
もし天皇を滅ぼしてたら、軍の50倍もいる1億人の国民の怒りを買う事を、
アメリカは恐れ、天皇存続にシフトした。
てす
2枚ほど大石内蔵助コスプレがいるね。お祭りかな?
ま~たどうせどこぞの特亜だろこういうのをやらかしているのは。
「バカじゃねえの?」と当該BBSに英語でレスつけておくべきだな。
女性コマンドー部隊作ってください。
ほとんど芝居小屋の写真だろ
普通に道場には女や町人も居たから
町道場にちゃんとした藩のお侍さんしかいない時代劇がおかしいだけで
武家の女は薙刀だろう。
日本では、ヒミコからはじまって、推古帝や皇極(斉明)帝、持統天皇。
光明皇后が素晴らしく、藤原摂関家の姫君も、日本のために尽くした。
さらに、巴御前、北条政子、寿桂尼、東の局。淀君は豊臣を滅ぼしたが、
有能な女性が、日本を動かしたと言える。
外国では、国を傾けた女性が目立ってるから仕方がないか。
クレオパトラ、楊貴妃、マリーアントワネットなど
晩年の八重さん混じっとるやん
中澤琴さんは「花嵐の剣士」って黒木メイサ主演のNHKドラマがBSでやってたな
ハッキリ言って、西洋の文化が入る江戸時代まで、女はある程度は出しゃばる事が出来た。
女同士でコミュニティーを形成し上役の妻とかが、夫への叱り役で上手くやってたんだ。
女同士の「果たし合い」とかも日常で刃物使わないだけで壮絶だったらしいよ。
こんな世界だったら、男も命懸けだわな。ブルブル
そういえば戦国時代に日本に来た宣教師も日本では女性の地位が高いのに
驚いて書き記してなかったか?
※72
まあ武家に嫁ぐなら、当然のたしなみだろうね。
でも昔の女は忙しかったから、剣術の様に精神修行の意味合いの強いものよりも、より実戦的で実用的な弓術や長刀を習う人が多かったんだろ。
戊辰戦争時の籠城戦じゃ女性陣も鉄砲使って応戦してなかったっけ?
※2
きっと女侍は殺せと言う前に自害してる
>ちょっと待って…フェミニズムって西洋で流行る前に日本に存在してたのか!?
西洋化以前は男尊女卑の概念が薄かった感あるわ
明治大正昭和と男社会全盛になってフェミニスムが流行して今に至る感じ
現代の西洋や日本のフェミニズムは恣意的で腐ってるから、もっとナチュラルに異性を尊重する風潮になればいいな
近藤局長が女だったとは・・・
やっぱ本物は一人だけ雰囲気がちがうな
江戸時代になる前の戦場では、前線地区でも結構な数の「甲冑つけた女性の遺骨」が見つかってるし、女侍はともかく、すくなくとも女の兵は結構いたんだろうな
戊辰戦争で会津城を守ってた新島襄の奥さんが混じってるじゃん。
なんか女歌舞伎がかなり混じっているな
そりゃレディファーストって女性が差別されていたからこその概念ですし
残念ながら全部土産用とかの写真だし本物の女侍は一人もいないけど、
歴史的には少数ながら存在してるからまぁいいんだろうか…。
男の侍と違って恒常的に侍として務めてるんじゃなく、一時的あるいは
状況に応じて武装したり侍的役割を演じていただけじゃ女侍じゃない!
って言われたら女侍存在しないってことになるんだろうけど。
※81
そうなの?薙刀は少ない力で威力を発揮できてリーチも長いから、力の弱い人、つまり女性や僧兵たちに重宝されたって聞いて鵜呑みにしてたわ。
歴史勉強してた身としては甲冑つけた女の遺骨が〜とか妄想書く奴で草生えたわ
女も戦わなきゃ発言権ないし財産権もないよ。嫁に行くとき化粧料と言って財産もってた。西洋では女は家畜みたいで財産権なしイスラム見たいに親指より細い棒なら奥さんたたいてたらしい。魔女がりで殺しほうだい。流石に報復に毒をたべものに入れたらしい。それから、態度がガラリと変わってレディ―を大事にしましょうになった。
上杉謙信が女だって話もあるし、巴御前とか甲斐姫とか鶴姫とか活躍した人も結構居る
>負け戦では、男より女のほうが勇ましく戦い、男は役立たずになることも多かったそうです
今と同じだwサッカーもバスケも男の方はメンタルで負けて試合にも負ける事が多いし、同時期に試合してる女の方は優勝を手土産に漢らしく帰国してるパターン何度かある。敗戦した後に鬼畜米軍が日本の海域で水爆実験を始めて日本の男達は何も言えなかったのに、家族が食べる魚介類に何さらすんじゃって日本に主婦達が国連に乗り込んで止めさせたし。
土産用のポストカードなんだけど